Quand la Forme Parle (Japon)

|かたちが語るとき (日本展)

roofs and windows near wall behavior|食堂の壁のはなれ、屋根と窓のある家

かたちとは"物質がつくりだす身体と現実の結び目"である。私たちはそれらを結びなおしながら像世界を生きている。網膜にうつる二次元的情報から立体的な世界を「心の中」につくり出しながら。

"食堂のはなれ"は、キュビズム的な家の精郭と大きさによって遠近の深度をゆるがし、散在する同じ大きさの窓は異なる視座をつくりつづける。「認識の主観」は、事物の対象化をすりぬけ内省をくり返し、ここにしかないここではない場所を想う。

 

赤城山を望む、牧歌的でさまざまな大きさの自然物や建物が広がるードサイド。「食堂」から眺められる家は、誰のものでもなく、平凡で、どこか想像の中の絵本の家のような表情でありたい、と考えた。遠景にある家々と同じ屋根や窓を用い、大きさや見える角度を変えて、心の中に像世界を描きつづける。"風景"の模型を手前の3本の木々から覗くと、食堂越しに「家」が見える。それは同時に異なる面を見せるキュビズム絵画のように小さく分岐し、敷地の隅に吹き寄せられている。屋根は低いところで1.4mと人の肩ほどにあり、すべて食堂に向かって対角に傾く。家は食堂から遠のいて見え、背景の家に退いていく。窓はそれに比して1.2m角と大きく、近づく人を包み込む。奥行と時間はつねに主観と客観の間にある。模型では、シャドーボックスを応用し、その感覚を心理スケールで表現した。"断面"では、折り重なる壁と対角に傾く天井、そして堀込まれた床が洞窟のよう奥行とさまざまな仰俯角の視野を生み、身体の感受性を満たしつづける。"窓"は、歩みを進める度に変化する庭での視界のように散在し、風景は身体によって主体的に再構成される。窓の外を眺めているのに、どこか知らないソトの世界に包まれていく。

 

Quand la Forme Parle「かたちが語るとき」 日本展 より

photo Takumi Ota

2021.11.25

© miya akiko architecture atelier 2018 All rights reserved